2013年9月6日金曜日

ニューヨーク

ニューヨークには以前に何度か訪れていたので、今回はニュージャージー州のマンハッタンの対岸に住む友人を訪ねただけでした。

日本スーパーミツワで山頭火ラーメンを食べ(ものすごく繁盛しており25分待ちでした!)、米や缶詰などの日本食材を買い込みました。

ニューヨークにはチャイナタウンで中華料理を食べに行っただけでした。他に観光らしいことは一切しませんでした。

ハーレーダビッドソン工場見学

ペンシルバニア州にあるハーレーダビッドソンの工場は無料でガイドツアーに参加できます。バイク好きにはたまらないのではないでしょうか。私はバイクの免許を持っていませんが、バイクに乗りたくなりました。

見学が昼時だったので、従業員は昼休み中で工場が動いていなかったのは残念でした。昼時は避けたほうがいいと思います。

工場内は写真撮影はできません。

アーミッシュ村

ペンシルバニア州ランカスターにはアーミッシュと呼ばれる、現代技術に頼らずに生きる人たちがいます。以下、Wikipediaからの抜粋です。
アーミッシュ(英語: Amish[1]、ドイツ語: Amische[2])とは、アメリカ合衆国のペンシルベニア州・中西部などやカナダ・オンタリオ州などに居住するドイツ系移民(ペンシルベニア・ダッチも含まれる)の宗教集団である。移民当時の生活様式を保持し、農耕や牧畜によって自給自足生活をしていることで知られる。原郷はスイス、アルザス、シュワーベンなど。人口は20万人以上いるとされている。
アーミッシュ村では彼らの生活ぶりをガイドの人が説明してくれます。 ガイドの人はアーミッシュではないアメリカ人女性でしたが、アーミッシュの人とは友達付き合いをしているらしく、アーミッシュのことをとても好意的に話していました。

電気は使わないが、冷蔵庫にはプロパンガスを使い、馬車のウィンカー(法律で設置が義務付けられている)には太陽電池で蓄電したバッテリーを使うそうです。

アーミッシュは医療保険には入らず、医療費は完全自己負担だそうです。個人で支払えない場合には(アメリカの医療費は日本よりずっと高額です)、アーミッシュのコミュニティで出し合って支えるそうです。互助組織がきちんと機能していれば保険など要らないのかもしれませんが、村八分になるリスクが高いですね。

この付近ではアーミッシュの人が馬車で移動する様子が見られます。

ワシントンDC

スミソニアン博物館の自然史博物館、アメリカ歴史博物館、ホロコースト博物館に行ってきました。どれも凄すぎて私には書ききれません。

ホロコーストについてはご存知の通りドイツのナチスがユダヤ人などに行った虐殺のことですが、ドイツと戦ったとはいえ第3国のアメリカにホロコースト博物館があるというのはドイツ人にとってはどういう気持ちなのか少し気になりました(観覧車の中にはドイツ語を話している人もいました)。それだけユダヤ人の政治力がアメリカ国内で大きいということでしょうか?

ホロコースト博物館には強制収容所で殺害される前に没収された本物の靴が大量に展示されており、ものすごくカビ臭かったです。それ以来、カビの臭いをかぐとホロコーストのことを思い出すようになりました。

ワシントンDC市内だとホテルは非常に高く、公共駐車場もあまりなさそうなので、宿は駐車場が無料で地下鉄の駅まで徒歩で行けるEcono Lodge Metroにしました。1泊$103と高額でしたが、それでも市内のホテルに比べればリーズナブルです。最寄りの駅はEast Falls Churchで、ホテルから徒歩10分ほどでした。

食事は、昼食は博物館内のカフェテリアで(スミソニアン博物館は入場料が無料だからか館内での食事は結構高いです)、夕食はチャイナタウンの中華ですませました。チャイナタウンへはスミソニアン博物館のあるエリアから歩いて15分ほどです。チャイナタウンは意外と小さく、レストランもそれほど数があるわけではありませんが、確実に中華は食べられます。

2013年8月27日火曜日

スミソニアン航空宇宙博物館

エノラ・ゲイ、コンコルド、スペースシャトル・ディスカバリーなどなど…、全部ホンモノでてんこ盛りでお腹いっぱいですw

エノラ・ゲイに関しては日本人として複雑な気持ちになりました。どうせアメリカのことだから原爆投下を正当化しているのだろうと思ったら、ガイドの人が原爆投下の正当性は未来永劫ディベートの対象になるだろうと中立的に話していて少しほっとしました。私個人は人類史における極めて大きな犯罪だと思っています。

エノラ・ゲイ。


退役したコンコルド。

エントランスを入って正面の奥にスペースシャトル・ディスカバリーは鎮座しています。

退役したスペースシャトル・ ディスカバリー。カーボンでできたノーズやタイルの傷が生々しいです。

他にもいろいろあるのですが、私には書ききれません。

2013年8月26日月曜日

マウント・バーロン

ワシントン初代大統領が住んでいた家が再現されています。アメリカ人にとっては聖地みたいなところでしょうか。多くの観光客で賑わっていました。

この家のまわりは農地になっていて、ワシントンは当時ではかなり裕福な農家として成功していたようです。

博物館もあり、そこではワシントンの生い立ち、独立戦争をいかに戦ったか、大統領に就任してからの仕事ぶりなどを知ることができます。


ガイド付きのツアーで中を見学することができます。インテリアや調度品はかなり質素にみえますが、各部屋が異なる色で塗られており、ペンキが高価だった当時はステータスを誇示するものだったようです。

家のすぐ裏はポトマック川です。とても良い所です。

コロニアル・ウィリアムズバーグ

植民地時代の建物や街が再現されているテーマパーク的な場所です。日本の明治村に近いかもしれません。あちこちに当時の衣服を着た説明員がいて、質問するといろいろ教えてくれます。当時話されていた英語を話すので、最初は少しびっくりして聞き取れませんでした。例えば挨拶は"Good day"です。

以下、Wikipediaからの抜粋です。
コロニアル・ウィリアムズバーグ(英文表記: Colonial Williamsburg)は、バージニア州の独立市、ウィリアムズバーグにある歴史的地区。コロニアル・ウィリアムズバーグは1699年から1780年まで、ジェームズ・シティ郡の植民の中心地、ウィリアムズバーグを形成していた多くの建造物で構成されており、後期の建物の痕跡は取り除かれている。コロニアル・ウィリアムズバーグはバージニア植民地時代の統治・教育・文化の中心であった他、周囲にはラレー・タバーン (Raleigh Tavern) 、ウィリアム・アンド・メアリー大学、総督公邸 (The Governor's Palace) 、ブルートン教区教会 (Bruton Parish Church) の4つの主要な建造物がそれぞれ建っている。

フェルメールの絵画みたいですが、この女性は絵画ではなく本物の女性です。この部屋は当時の総督公邸のキッチンの様子が再現されており、彼女はメイドの仕事をしながらこちらの質問に答えてくれます。当時はすでに入植して100年以上たっているので、必要な食料はすべてアメリカで調達できたが、基本的なレシピはすべてイギリスから持ち込んでいたとのことです。

こちらも当時の金属加工職人の仕事部屋が再現されています。

トーマス・ジェファーソンに扮する役者(?)が演説をぶっています。やはり当時の衣装を着た市井の人とやりとりをしたりして、ちょっとした寸劇になっています。

当時の軍事訓練を模した様子です。軍楽に合わせて機関銃や大砲を撃ったりします。